エジプト香油とは

日本ではまだまだ馴染みの薄い「香油」ですがアラブ地域では遥か昔から人類史が始まった頃より使用されてきました。天然原料から生まれた澄んだ香りは懐かしさを感じる心にも体にも優しい芳しさです。香水のように揮発性のあるアルコールが入っていないため持続性が高いのも特徴です。また、非常に高い粘度が特徴です。

精油との違いを例えるなら、ジュースとスムージーぐらいの濃度の違いがあります。ものにもよりますが、植物を丸ごと石臼でゆっくりと挽き時間をかけて抽出するため、粘度の強さは香油の品質を表します。粘度が高ければ高いほどピュアで純度の高い香油という証。特にエジプト産の香油は土壌からオーガニックの為、ハイブランドの香水原料として買い占められることもあり、世界最高品質として知られています。

PANTALA(パンタラ)では、何千年前からの作り方を継承している、アラブ王族御用達でエジプト国内でも最高品質と言われる香油を生産している会社から、アジア独占契約を結んだ業者より独自ルートで仕入れました。

*日本には「雑貨」での輸入となっております。

香油の歴史

その歴史は非常に古く、最古の記録では神話に登場するトート神から人類が授かったものの一つとして、トート神殿のそばの神官の墓の壁画に香油の作成過程の様子が刻まれています。(写真1)


写真1 香油作成 壁画
申請がないと入れない立入禁止区域

紀元前4500年頃に始まったとされる古代エジプト時代には王族と、世界で初めての調香師であり医師でもあった神官のみが扱いを許されていたといいます。当時の宗教観では肉体を維持する食物と同じく【香油は永遠の魂の食事】と認識され、特権階級である彼らが毎日のように執り行う儀式を含めた、あらゆる場面で重用されていました。

パピルス文書(紀元前2800年頃)にも、古代エジプトにおける薬草の使用方法のほか、神殿で神々に捧げられた香油の調合の記録が数多く残っています。非常に貴重なものであったため、権力を誇示したファラオたちの墓に必ず納められ、後の世の盗賊たちは宝石よりも非常に高価で希少価値のあった香油からまず先に盗んだと言われているほどです。最近の研究では、ミイラを作る際にも多種類の香油が大量に使われていたことが明らかにされてきています。1922年、ツタンカーメン王の墳墓が開かれたときは3000年以上の時間を超えてなお、収められていた香油の香りが墳墓内に強く残っていたといわれ、出土されたツタンカーメンの黄金玉座には、王妃が王の身体に香油を塗っている場面も美しい金の細工で施されており、当時の王族の使い方を示した貴重な姿の一つとしてエジプト考古学博物館で見ることができます。

世界三大美女として有名なクレオパトラ7世が、住まいであったデンデラ神殿(写真2)にある、プールほどの大きさの風呂にジャスミンやバラなど、兵士の何ヶ月分の給与に相当する額の香油を毎日使用していたことは有名です。耳にローズ、手首にジャスミン、おへそにロータスと体の部位ごとに違う香油をつけており、【吹き抜ける風も彼女に恋した】と言われるほどだったとか。また遺伝的には優秀とは言い難かったクレオパトラが数カ国語を操り、世界を動かすリーダーたちを虜にした話術は、香油の効能で脳が著しく発達したからだという科学的報告もあり、何千年前のエジプト王朝で、香油の魅力を知り尽くし活用していた事実が伺える驚くべきエピソードです。


写真2

現代、アルコール禁止のイスラム教徒の多いアラブ諸国ではアルコールの入っている香水よりも多く流通し、香油をつけていない人の方が珍しいとされるほど、美容と健康に欠かせない身だしなみの一部となっているほか、日本での漢方のように専門家の診断と処方箋で受けられる医療としても広く普及しています。起源を辿れば神話に行きついてしまうほど古(いにしえ)から続く、叡智と大地の恵みの集大成として、一子相伝のような形で脈々と現代に受け継がれ守られてきた香油。伝統を重んじ敬う歴史は、日本人との強い共時性を感じられます。

日本人にこそ知ってほしい
【人類に初めてもたらされた逸話の残る、香りの大元・元祖】です。